甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第7弾  「宮本百合子ゆかりの地」 掘り出し物と言ったら失礼でしょうか。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、宮本百合子という人物はご存知でしょうか?

私は存じ上げませんでした。

しかし、「大平正芳旧邸」から次の目的地に向かい途中に急に見つけてしまいました。

ここは、宮本百合子さんが幼少の頃にお住まいになっていた所だそうです。

ここには、看板だけでなくかなり古いレンガ作りの壁もありました。

それがこちらです。

彼女のお父上様はかなり高名な建築家で慶應大学の図書館の設計もされていたようです。

宮本百合子(本名 中條「ちゅうじょう」ユリ)さんは明治32年に千石1丁目に生まれということだそうなのでこの場所の近所です。

その後、お父上様が札幌農学校(後の北海道大学)に講義のため札幌に行かれますが、

3歳の時にこの場所にお戻りになります。

彼女はこの地で育ち日本女子大に進学しますが、

1916年、入学早々『貧しき人々の群』を発表し、天才少女として注目を集め大学を1年で中退し作家としてデビューします。

1931年あの宮本顕治さんとご結婚されます。

当時、百合子さんが32歳、宮本顕治さんが9歳年下の23歳でした。

宮本百合子さんは宮本顕治さん表に裏に助けながら数々の作品を発表しますが、1951年に51歳の若さで亡くなりました。

波瀾万丈の人生を送っていたのですね。

では場所です。

 

 

 


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