甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第9弾  「夏目漱石旧居跡」 この場所は「猫の家」とも言われております。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、ビッグネームが出てまいりました。

夏目漱石先生がお住まいになっていた跡地でございます。

夏目先生は東京大学をご卒業後、

1893年に東京高等師範学校(筑波大学の前身)の英語教師、

1895年に愛媛県尋常中学校(旧制松山中学、現在の松山東高校)に英語教師、

1896年に熊本市の第五高等学校(熊本大学の前身)の英語教師をされたあと

1900年にイギリスに留学します。

そして、1903年に帰国。

そして、東京帝国大学の講師になります。

その時、お住みになっていたのが今回ご紹介する場所です。

夏目先生はここであの名作であり処女作である「吾輩は猫である」を執筆します。

ただし、その背景はかなりダークです。

夏目先生は小泉八雲先生の後任でした。

小泉先生の授業は素晴らしくその反動で

夏目先生の講義はずいぶん不評だったみたいです。

ある日、夏目先生はある生徒を叱責しました。

その数日後その生徒は華厳の滝に頭身自殺をしました。

有名な藤村操さんの自殺です。

これにもショックを受けた夏目先生は精神的に追い込まれます。

そこで、正岡子規先生の下でであった高浜虚子先生の勧めで小説を書き始めます。

そして「吾輩は猫である」がこの地で誕生しました。

続く。

dav

 


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