甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第10弾  「夏目漱石旧居跡」 その2 人生の岐路の場所です。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、夏目漱石先生はロンドン留学から帰国後、

東京の本郷区駒込千駄木町57番地(現在の文京区向丘2-20-7)にお住みになりました。

そして、ここで処女作「吾輩は猫である」を執筆します。

この作品は元々俳句雑誌の「ホトトギス」に発表されました。

「ホトトギス」は漢字で「子規」と書くぐらいなので正岡子規先生らが選者となって編集された俳句雑誌でした。

その選者の一人に高浜虚子先生がいらっしゃいました。

高浜先生は夏目先生の小説家としての才能を早くから見出しておりました。

夏目先生は大学での講師としては余り評判がよくありませんでした。

これはよくある話で、一流の選手が一流の監督にはなれるとは限りら無いようなもんです。

しかし、夏目先生はその評判を多少は気にされていたみたいです。

今風には「エゴサー」で凹。

そこで、高浜先生は夏目先生に小説に書くように勧めます。

そして、自分の息がかかっている俳句雑誌「ホトトギス」に小説の連載を始めます。

これが大ヒット。

さらに第2段小説「坊ちゃん」も執筆し、連載します。

これまた大ヒットです。

このダブルヒットで彼は完全に立ち直り作家としての道を決意することになりました。

つまり、この場所は夏目先生のその後の人生を決定づけた場所だったのです。


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