甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第12弾 「石川啄木ゆかりの旧赤心館跡」その1 心意気のある先輩を持つのも才能です。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、東京大学の赤門は本郷通りに面しております。

そして、本郷通りを挟んで反対側の地域は「旧〇〇跡」ファンにとっては垂涎の地域です。

現在の住所表記で言いますと、文京区本郷4丁目、5丁目あたりです。

この地域の中に今回ご紹介する「旧赤心館(せきしんかん)跡」があります。

石川啄木は本名石川一(いしかわはじめ)と言い、岩手県出身です。

で、なんじゃかんじゃあって、3度目の上京をします。

その時、中学の先輩であった金田一京助先輩を頼ります。

金田一先輩も決して裕福ではありませんでしたが、

自分を頼って上京してきた後輩に先輩風を吹かしてしまいます。

で、自分の下宿に転がり込んできた石川啄木後輩を受け入れてしまいます。

当時、金田一先輩は海城中学の国語の先生としてお仕事されていました。

しかし、大家からは二人分の家賃を請求され、

その上、石川啄木後輩の生活費全般を肩代わりしておりましたので、

一気に生活が苦しくなります。

で、家賃を待ってくれるように大家さんにお願いしますが、

断られます。

ブチギレた金田一先輩は自分の大切していた本を売ってお金を作り家賃を払った上で、

別の場所に引っ越します。

もちろん、後輩も一緒です。

続く。

画像

石川啄木(右)と金田一京助(左)。1908年(明治41年)10月4日、『明星』終刊の際の写真(部分)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kyosuke_Kindaichi_and_Takuboku_Ishikawa.jpg#/media/ファイル:Kyosuke_Kindaichi_and_Takuboku_Ishikawa.jpg


Leave a Comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA