甘霧庵

バイロイト辺境伯歌劇場 その4 よく似ておりますが、「バイロイト祝祭劇場」というのもあります。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、「バイロイト辺境伯歌劇場」は1744年に建て始められ1750年に完成しました。

バイロイトは所詮田舎ですので、

今後何とか発展させたいと思っておりました。

ですから、大学を建てたいと思えば建てますし、

公園を整備したいと思えば整備しました。

そして、バイロイトは一大芸術都市、学術都市になりました。

日本で言えば筑波みたいな感じです。

その後、ナポレオンの侵攻とかもありましたが、

この歌劇場は生き残ります。

そして、ある作曲家がこの地を訪れます。

ドイツが誇る大作曲家リヒャルト・ワーグナーです。

彼は新曲を発表するための歌劇場を探しておりました。

1871年4月にこの歌劇場を訪れたとき、

「いい感じじゃね。」と思い付きます。

しかし、如何せん100年前の建物です。

キャパが小さすぎます。

そこで、新しい歌劇場を作ることにします。

当時、ワーグナーは強烈なお金持ちがスポンサーについておりましたので金銭的には問題ありません。

ただ、ワーグナーのこだわりが強すぎて予想以上に資金が必要だったためオープンは結構遅れました。

で、建てられたのが「バイロイト祝祭劇場」です。

1886年オープンです。

続く。

画像

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Festspielhaus.jpg#/media/ファイル:Festspielhaus.jpg

 


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