甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第12弾 「石川啄木ゆかりの旧赤心館跡」その2

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、石川啄木先生がかつてお住まいとされていた「赤心館」は現在の本郷5丁目5ー16です。

ここは、現在「オルガノプラントサービス株式会社」という会社の本社が立っております。

この看板は上記の会社の裏手にひっそりと立っております。

この下宿で石川先生はたった1ヶ月の間に小説を5作品仕上げます。

「菊池君」「病院の窓」「母」「天鵞絨(ビロード)」「二筋の血」

原稿用紙で言いますと300枚程度だそうです。

石川啄木先生は奥さんの妹の旦那である宮崎 郁雨(みやざき いくう)先生にあてた手紙で

「漱石の虞美人草のゆき方ならアレ位のものを二週間で書ける」と自分は天才だと自信を見せます。

どうやら石川先生はかなりの自信家だったそうです。

しかし、石川先生が理解していなかったことは

天才の作品であることと売れる作品とは違うということです。

名作かもしれませんがダダ滑りです。

全く売れません。

これにかすっかり自信をなくします。

石川先生はその時の気持ちを

「死去した国木田独歩や自殺した川上眉山は死ぬことのできない自分よりも幸福だ。」

と日記に記しております。

かなり切羽詰まっていたんですね。

看板は下の通りです。

地図は以下の通りです。

 


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