皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、家賃が滞ったうえに渾身の小説が全く売れず、
大失意の石川啄木ですが、
故郷の先輩である金田一先輩の尽力でごく近所に引っ越しすることになりました。
それが「蓋平館(がいへいかん)」です。
この下宿は3畳一間の狭い部屋でしたが、
富士山がよく見えたそうで、かなりのお気に入りだったそうです。
そのうえ、朝日新聞での小説「鳥影」(全60回)の連載も決まりました。
ただ、あまり反応は芳しくなかったようです。
と言いますか、
悪評もなく、
目立たなかったって感じです。
ま、作家としては最悪の結果だったかもしれません。
さらに、文芸雑誌「スバル」が創刊され、その発起人となりました。
この雑誌にはそうそうたるメンバーが名を連ねております。
木下杢太郎、高村光太郎、北原白秋、平野万里、吉井勇らの他に
森鷗外や与謝野寛(鉄幹)、与謝野晶子らも名を連ねました。
しかし、石川啄木が執筆した、『足跡』は連載第1回が『早稲田文学』で
「新らしい(原文ママ)作家らしい態度から見ると木下杢太郎氏や与謝野晶子氏の方がヅッと進んで居る」と評されて続けるのを断念し、
『葉書』に対して雑誌『新声』で「何処といって取柄のない小説で、別に取立てて評する程の価値もなさそうだ」と酷評されるなど、
小説家としての評価を得ることはできなかったそうです。