皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、石川啄木さんシリーズに続きまして、
またもや石川県出身の作家です。
宮沢賢治さんの旧居跡をご紹介します。
石川啄木さんは岩手県南岩手郡日戸(ひのと)村(現在の盛岡市日戸)に1886年に生まれました。
一方、宮沢賢治さんは1896年父に花巻川口町(花巻市)に生まれました。
ですから10歳違いなんですね。
そして、石川啄木さんが「赤心館」や「蓋平館」に下宿していたのが、1908年5月4日〜1909年6月16日。
宮沢賢治さんがごく近所に下宿していたのが1921年1月〜8月ですからニアミスもしておりません。
と言いますか、
石川啄木さんは1912年にはもう亡くなっておりますので、
おそらくほとんど面識はなかったかと思われます。
ただ、宮沢賢治さんは石川啄木さんに影響を受けて短歌をやってみたそうですので、郷里の尊敬すべき先輩ぐらいには思っていたのでしょう。
石川啄木さんは宮沢賢治さんのことを全く知らなかったと思います。
しかし、偶然にも東京での下宿先はごく近所でした。
本郷近辺は当時の作家には人気の街だったのでしょうか。
それとも、元々東北出身のかたが多く住んでいて、
東北出身の作家はその方々を頼ってこの辺りに下宿したのでしょうか。
不思議です。
続く。
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https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Miyazawa_Kenji.jpg#/media/ファイル:Miyazawa_Kenji.jpg