甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第16弾 宮沢賢治旧居跡 本郷菊坂75番地(現: 東京都文京区本郷4丁目34−10)その2

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、岩手県の花巻市に暮らしていた青年宮沢賢治さんは1921年1月23日夕方、東京行きの汽車に乗り家出しました。

家出と言いましても当時、宮沢賢治さんはすでに25歳。

立派な大人です。

しかし、これは田舎もんあるあるなのですが、

田舎に生まれた者の約9割は地元から離れようとしません。

しかし、ごくわずか約1割以下の者はやたらと都会に出たがります。

それも急に突発的に都会に出ようとは思いません。

幼い頃からそこはかとなく都会というものに憧れているのです。

宮沢賢治さんもそんな感じだったのでしょう。

で、この頃、宮沢賢治さんは宗教にハマっておりました。

当時設立間もない日蓮系の宗教団体「国柱会」に所属しておりました。

彼の父親は浄土宗系の信者さんだったらしく、

宮沢賢治さんと父上様はよくぶつかっていたみたいです。

で、そんなこともあって上京した彼は「国柱会」の東京支部みたいなところで下宿させてもらうように頼みますが、

断られ、父の友人を頼って本郷に引っ越してきました。

ここで、宮沢賢治さんは昼は印刷工として働き、夜は「法華文学」に取り組みます。

1ヶ月で3千枚も書いたみたいです。

さらに街角に立って「法華経」の素晴らしさをアピールしていたみたいです。

やりますね。

続く。

画像

花巻農学校教諭時代の賢治

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Miyazawa_Kenji_as_a_teacher_of_Hanamaki_Agricultural_School.jpg#/media/ファイル:Miyazawa_Kenji_as_a_teacher_of_Hanamaki_Agricultural_School.jpg


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