甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第17弾 宮沢賢治旧居跡 その3

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、1921年の1月に家出同然で上京した宮沢賢治さんは、

印刷工場で働きながら夜は法華経を下敷きにした小説を書く日々を送っておりました。

当時、かなり生活が苦しかったらしいのですが、

父親からの仕送りを突き返したりしておりました。

かなり一本気のある性格みたいですね。

4月には親友の保阪嘉内さんを誘って関西に旅行に行きます。

この間も保阪嘉内さんに対して日蓮宗に入信するように説得を繰り返します。

宮沢賢治さんは良かれと思って説得していましたが、

保阪嘉内さんにとってはウザくてしょうがなかったのでしょう、

いつの間にか絶交してしまいます。

そして、8月に運命の電報が実家から届きます。

「トシビョウキスグカエレ」

トシさんとは宮沢賢治さんの2歳年下の妹で一番の理解者でした。

トシさんは東京の大学に通っていましたが、

その在学中から肺炎に罹っていたようです。

ですから、電報を受け取った宮沢賢治さんは

大量の原稿用紙をトランクに詰めて実家の花巻に帰ります。

これは妹トシさんとのツーショットです。

宮沢賢治さんが東京に住んでいた時期は1年に満たないですが、

この時期は人生の中でも濃い時間を過ごしたのではないでしょうか。

地図です。

画像

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Miyazawa_Kenji_and_Toshi.jpg#/media/ファイル:Miyazawa_Kenji_and_Toshi.jpg

 

 


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