甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第19弾 坪内逍遥旧居跡・常盤会 その2 坂の上の宿舎

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、坪内先生の旧宅は炭団坂と呼ばれている坂の上に住んでいました。

この炭団坂は東京23区の中でも屈指の急坂です。

その名前の由来は炭屋さんがたくさんあったとか、

あまりの急坂で雨の日に人が転がり落ちて真っ黒になったという説があります。

今でも炭団坂の上は非常に見晴らしが良くて坪内先生もかなり気に入っていたと思われます。

坪内先生はこの建物を「春のや(春廼舎)」と名付けました。

粋ですね。

坪内先生が結婚し近所に転居したあとは、旧松山藩(愛媛県)出身の学生のための寮「常盤会寄宿舎」となりました。

で、松山といえば正岡子規先生です。

正岡先生は1888(明治二十一)年に入居しました。

正岡子規先生は坂に面した眺望の良い二階の部屋に住んで、

将来への希望に満ちて同郷の友人らと勉学に励み、

俳句熱を高め、

野球を楽しんだといわれております。

正岡子規先生と親しかった夏目漱石先生は、

たびたびこの寄宿舎を訪れており、

倒れた子規を見舞ったといたそううです。

正岡子規先生の旧友の秋山好古(よしふる)・真之(さねゆき)兄弟の兄・好古さんは

日清・日露戦争で騎兵部隊指揮官として活躍したあと、

常盤会の舎監を務めました。

現在はこんな感じです。

マンションです。

地図です。

 


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