皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、今回も前回と同じくアイヌの天才知里 幸恵さん特集です。
知里さんは登別にお生まれになりましたが、6歳の時に旭川の伯母さんである金成 マツさんの養女になります。
知里さんの幸恵の祖母・モナシノウクはユーカラクル、つまりアイヌの口承の叙事詩“カムイユカラ”の謡い手でした。
カムイユカラは、文字を持たなかったアイヌにとって、その価値観・道徳観・伝統文化等を子孫に継承していく上で重要なものでした。
そして、幸恵はこのカムイユカラを身近に聞くことができる環境で育ったのです。
知里さんの生まれた頃は、ロシアからの領土侵略を防ぐため、明治政府が北海道を開拓し始めてから30年以上がたっていたそうです。
旭川の知里さんの家を言語学者の金田一京助が訪れたのは、知里さんが15歳の時でした。
ですから1918年です。
金田一先生の目的はアイヌの伝統文化を記録することでした。
しかし、知里さんにとっては無意味なことのように思われていたそうです。
金田一先生が祖母たちからアイヌ伝統のカムイユカラを熱心に聞き記録に取る姿を見て、
金田一のアイヌ伝統文化への尊敬の念、カムイユカラ研究への熱意を感じたそうです。
続く。
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https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Yukie_Chiri_3.jpg#/media/ファイル:Yukie_Chiri_3.jpg