甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第26弾  番外編 知里 幸恵さん特集です。その4

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、『アイヌ神謡集』を書き上げたと言いますか翻訳したと言いますか編集したと言いますか、

とにかく『アイヌ神謡集』の仕事をすることになりました。

この仕事は故郷の北海道を離れて東京本郷の金田一京助先生のご自宅で行われました。

まず不幸だったのは、

上京したのが5月だったことです。

北海道の夏と東京の夏とでは雲泥の差です。

北海道の夏は「涼しい」と言うより「爽やか」と言った方がしっくりきます。

湿度が低い上に人口密度も低く自然もいっぱいです。

そんな北海道から蒸し暑くごみごみした排気ガスまみれの東京に上京すると当然具合も悪くなります。

そのうえ、優秀な方に多い完璧な仕事をしてしまいます。

私のように大体にして、他の方に甘えると言うようなことはしません。

一文字一文字しっかり確認しながら翻訳・編集・推敲作業していきます。

こうなると、

それでなくても先天性の心臓病を抱えていた知里 幸恵さんにとっては文字通り命懸けの仕事になりました。

そして、『アイヌ神謡集』は1922年(大正11年)9月18日に完成しました。

しかし、その夜仕事をやり遂げた彼女は心臓発作により19年の人生を閉じました。

『アイヌ神謡集』自体はその翌年1923年(大正12年)8月10日に、郷土研究社から出版されました。

続く

画像

知里幸恵さん。

この写真は、彼女が死去する2ヶ月前、1922年(大正11年)7月に滞在先の東京の金田一京助先生の自宅庭で撮影されました。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Yukie_Chiri.jpg#/media/ファイル:Yukie_Chiri.jpg


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