甘霧庵

ハインリヒ・シュッツ その42 「マタイ受難曲」8曲目「十字架」その3

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、前回ご紹介した聖書の記述は全部、福音史家が歌っています。

福音史家が歌う箇所はいわゆるト書の部分です。

ですから、出番は一番多くて大変です。

その上、福音史家の出来不出来でこの曲の出来不出来が決まります。

この役が完璧に歌うことができるとクラシック歌手としては一流と言えるでしょう。

特に前回のような悲惨な箇所をどのように歌い上げるかが指揮者の腕と福音史家役の歌手の腕が試されます。

おそらく、このような曲を演奏するときは指揮者と福音史家と音楽監督とが楽譜とにらめっこしながら、

あれやこれやと議論していることでしょう。

前回、ご紹介した箇所は聖書の中でも最も重要でかつ有名な箇所です。

冷静に淡々と歌うべきでしょうか。

怒りの感情を込めて歌うべきでしょうか。

苦しさにじっと耐えるイエス・キリスト様を代弁するように歌うべきでしょうか。

私の意見は、

この曲は、元来、演奏会やコンサートで演奏する曲ではありません。

年に一度のイースターの頃、この曲の場合は、プロテスタントの教会で特別礼拝の一部として演奏されます。

ですから、できるだけ感情をできるだけ殺し、聴衆が場面を想像しやすく演奏するのが最上と考えます。

皆さんはどう思いますか?

続く。

画像

エル・グレコ1580.

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Christ_Carrying_the_Cross_1580.jpg#/media/ファイル:Christ_Carrying_the_Cross_1580.jpg


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