甘霧庵

古都京都の文化財 東寺 その2 名前の奥には深い意味があります。歴史です。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、前回ご紹介した東寺の続きです。

正式名称の一つ

「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院(こんこうみょうしてんのうきょうおうごこくじひみつでんぽういん)」はどのような意味なのでしょう。

まずは「金光明四天王」とは

741年の国分寺建立の詔[こくぶんじこんりゅうのみことのり]によって造られた国分僧寺[こくぶんそうじ]の正式な名前です。

金光明経[こんこうみょうきょう]を唱える寺なので、このような名前だそうです。

そして、「教王護国寺」は前回ご紹介した通りです。

かい摘みますと、国王様に仏教の教えを伝え、そしてそれにより国を護るという意味です。

で、最後の「秘密伝法院」は僧侶達が一緒に住んで修行するお寺という意味です。

これらを合わせてこのような名前になったのですが、

特にこのお寺の特徴を取って「教王護国寺」と省略されています。

しかし、

三浦俊良氏の著書「東寺の謎」によりますと

「真言密教がいう教王とは、

密教の根本経典である『教王経』すなわち『金剛頂経』をさすことばである。

したがって教王護国寺という意味のなかには、

真言密教の根本道場であり、

鎮護国家の修法をおこなう場というふたつの意味がふくまれている。」

深いです。

画像

Saigen Jiro – 投稿者自身による著作物, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=92744710による


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