甘霧庵

古都京都の文化財 東寺 その3 平安時代の平安京の方々の気持ちになって考えました。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、東寺の歴史はかなり古いです。

東寺は平安京遷都後まもない延暦15年(796年)、藤原伊勢人が建設工事責任者となって建立したといわれております。

ここで、マップを見ていただきたいのですが、

なんとなく京都は南側を除いて山に囲まれております。

つまり、南側だけは平地になっております。

ただ想像するに、

このあたりは宇治川と桂川が合流しておりますので、

平安時代は湿地帯だったのかもしれません。

つまり、南側は不気味な場所だったかもしれません。

さらに想像するに。

平安京周辺にお住まいになっていた高貴なお方々は、

嫌な出来事は南側からやってくると思っていたかもしれません。

それだけでなく

現代なんかよりずっと化け物や妖怪と言ったものを信じていたでしょうから

それらも南側からやってくると信じていたかもしれません。

ですから日本全国の鎮守というよりも

平安京の鎮守のために平安京の南側に羅城門を作りその両サイドに東寺と西寺を建立したと想像します。

とここでしれっと東寺と西寺と書きましたが、

西寺もありました。


上のマップの公園のあたりに西寺があったそうです。

東寺は今でもありますが西寺はありません。

そのあたりは次回。

画像

Saigen Jiro – 投稿者自身による著作物, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=36605036による 


Leave a Comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA