皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、東寺の対のお寺西寺は
嵯峨天皇の時の弘仁14年(823年)に西寺は守敏に下賜されたとされます。
ただし、この記録は伝説性が強いとの意見もあります。
990年に火災があったそうですが、ほどなく再建されました。
しかし、1233年に再び焼失、以降に廃寺になったと考えられています。
では、なぜ西寺がなくなってしまったのでしょう。
私見を書きますと。
まず第一に火災のタイミングが良く無かった。
1233年といえば平安の都から鎌倉に政治の中心が移ったすぐの頃です。
この頃、政治が天皇家公家から武士に移ったことで、
天皇家の予算が以前に比べて減ってしまい、
西寺再興するだけの予算がなかったのかもしれません。
第二に場所が良く無かった。
西寺があった場所は元々湿地帯で民家も少なかったと思われます。
京都から鎌倉に政治の中心が移るとそれでなくても人が少なかった場所が
さらに人が減って君の悪い場所になっていたのかもしれません。
そんな所にもう大規模なお寺を立てなくても。
と考えたのかもしれません。
第三に鎌倉時代初期に空前の空海ブームが来ます。
つまり、空海由来の東寺には大挙をなしてお参りに来たみたいです。
その一方で西寺は人の記憶から消えていきました。
残念です。
続く。
画像
西寺講堂跡
Saigen Jiro – 投稿者自身による著作物, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=82219555による