甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第40弾 奇跡の14ヶ月。つまり1年2ヶ月。その間に傑作を連発しました。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、1894年(明治27年)5月に本郷区丸山福山町(現在の文京区西片一丁目)に移ります。

「萩の舎」と交渉し、月2円の助教料が得られるようになりました。

「萩の舎」とは樋口一葉さんが作家の勉強をしていた私塾です。

同年12月に『大つごもり』を『文学界』に発表します。

そして、翌明治28年1月から『たけくらべ』を7回にわたり発表し、

その合間に依頼された『ゆく雲』を執筆したほか、

『経つくえ』を書き改めた上で『文藝倶楽部』に再掲載させます。

さらにさらにこのほか『にごりえ』『十三夜』などを発表しています。

そして、樋口さんは一躍文学界でスターに押しやられます。

となると人とのつながりも広くなります。

明治28年4月から樋口家には馬場孤蝶や島崎藤村など『文学界』同人や斎藤緑雨といった文筆家などの来客が毎日訪れるようになり、

文学サロンのようになりました。

一葉は着るものにも困る生活であったようですが、

来客を歓迎し、

鰻や寿司を取り寄せてふるまったそうです

おそらく、文学界には数少ない女性作家ですので

男性諸氏はなんとか。

と思ったかもしれません。

しかし、鰻や寿司をふるまったということは

誰にも興味を示さなかったかもしれません。

続く。

 


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