甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第41弾 色々と素晴らしい女性です。お会いしたかったですね。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、1894年(明治27年)5月に樋口一葉さんは本郷区丸山福山町(現在の文京区西片一丁目17)に転居して、

そこから怒涛の傑作を発表します。

これがいわゆる奇跡の14ヶ月です。

しかし、この14ヶ月頃から肺結核を患ってしまい、

1896年(明治29年)11月23日、丸山福山町の自宅において、24歳と6か月でお亡くなりになりました

明治の後半ですから、

その当時としても若すぎる死だったと思われます。

樋口さんには結構なファンが一定数おり、

葬儀は盛大に行われるかと思いきや、

葬儀は11月25日に築地本願寺で行われましたが

他人にきてもらうだけの営みができないという理由で、身内だけ十数人で行われたようです。

樋口一葉さんのの才を高く評価し、そのファンの代表格だった鷗外は、

”陸軍一等軍医正・森林太郎”としての正装の上で、

騎馬にて棺に従う参列を打診したのですが、

遺族に丁重に断られております。

人気が出た直後の死でしたので、

出版社は商魂たくましく

死後の翌1897年(明治30年)にはベストアルバム的な『一葉全集』『校訂一葉全集』が刊行されました。

2004年11月1日発行分から五千円紙幣の表面に採用されましたが、

女性としては1881年発行の紙幣に採用された神功皇后以来、123年ぶりで2人目の採用なんですって。

驚きです。

画像

Eclipse2009 – 投稿者自身による著作物, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15679304による

 


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