甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第42弾 天才は引越しマニア? 転々とされております。

皆さんこんにちは。

甘霧庵へようこそ。

さて、1896年(明治29年)11月23日、

丸山福山町の自宅において、

樋口一葉先生は24歳と6か月の短いご生涯を閉じました。

その約10年後、

1907年(明治40年)に天才文学者がある決意を元にごく近所に越してきます。

夏目漱石先生です。

それまで夏目先生は現在の 東京都文京区向丘2丁目に住んでいらっしゃいました。

ここで、名作「吾輩は猫である」をお書きになりました。

この頃から作家として生きていくことを熱望し始多様で、その後『倫敦塔』『坊つちやん』などの作品を発表しながら

東京大学で英語の講師をしたり、

朝日新聞に入社したりと作家との二足の草鞋生活を送っておりました。

しかし、1907年に一切の仕事を断り、

作家1本でやっていくことを決意します。

そして、現在の 東京都文京区西片1丁目に越してきます。

ここで、先生は職業作家としての初めての作品『虞美人草』の連載を開始しました。

ただ、この地にはそんなに長いいらっしゃらなかったようで、

同じ年の9月には別の場所に引越されました。

夏目先生は今で言う「引越しマニア」だったかもしれません。

そして、その後同じ場所に別の天才が入居します。

続く。

画像

夏目漱石先生が東京帝国大学総長の濱尾新先生へ宛てた辞表(1907年)

不明 – 漱石全集刊行会『漱石全集 第四巻』漱石全集刊行会、1935年10月25日。国立国会図書館デジタルコレクション: 永続的識別子 1883210, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=85464936による

 

 


Leave a Comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA