甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第45弾 遠山の金さんって遠山左衛門尉景元通称金四郎なんですね。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、鬼平犯科帳で有名な長谷川 宣以さんは1795年5月19日に現在の墨田区菊川3丁目16番地にあった屋敷で亡くなりました。

享年50。

病死だったそうです。

その後この屋敷には孫の代までお住みになりましたが、

孫の代で屋敷代えになりました。

そして、1840年にその屋敷に引っ越してきたのが、

「遠山の金さん」のモデルになった遠山左衛門尉景元(とおやま さえもんのじょう かげもと)さん通称金四郎さんです。

左衛門尉とは官職みたいなもんです。

金さんは元々現在の東京都港区新橋4丁目にいらっしゃったみたいですが、

北町奉行所に勤めることになったタイミングで菊川に引っ越したようです。

栄転して、港区から葛飾区に引っ越すなんて

今では考えられないですね。

私なら無理してでも港区にしがみついているかもしれません。

金さんは南町奉行所にも勤めた後、

1855年4月15日にお亡くなりになりました。

享年63歳

しかし、時代劇において主人公をはった二大巨塔が同じところにお住みになっているなんて

にわかには信じられないですね。

ここは、菊川の駅からも程近いですし

アクセスは抜群です。

是非皆さんも足を運ばれててはいかがでしょうか。

画像

不詳 – 千葉県立中央博物館大多喜城分館蔵, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8861422による


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