甘霧庵

古都京都の文化遺産 二条城 その3 2代目二条城 織田信長さんの魂のこもった会心の作

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、1565年に初代二条城が攻められ、ボロボロにされた跡地には真如堂(しんにょどう)正式名称真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)が移築されました。

そして、時は流れ、そんなに流れておりませんが、

1569年に織田信長さんが15代将軍足利義昭の為に同じ場所にお城を建築いたしました。

これが2代目二条城です。

ちなみに、15代足利義昭将軍は13代足利義輝将軍の弟さんにあたります。

では、14代は?

14代はお二人の従兄弟に当たる足利 義栄(あしかが よしひで)さんでした。

この頃は誰が一番の実力者かというと織田信長さんで、

自分の意のままの将軍である足利義昭さんを引き連れて京都にやってきます。

その頃足利 義栄(あしかが よしひで)さんは阿波国でご病気になりそのままお亡くなりになりました。

そして、織田さんと15代はこれ幸いと京都にやってくるわけです。

こんな感じで2代目二条城は築造されましたが、

ものの本によりますと立派な石垣と立派な天守があったそうで、

往年の将軍の権勢がよみがえった感じもあったそうです。

しかも、築造にかかった日数はたったの70日ほどで

織田さんの陣頭指揮のもと一気に終了しました。

画像

二条古城 石垣(京都御苑内)

Saigen Jiro – 投稿者自身による著作物, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=62441011による

 


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