甘霧庵

聖書のお話 vol6 あまり注目されませんが、昼があり夕があり夜があり朝がある。つまり・・・。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、聖書のお話を説教くさくしない感じでブログを書いております。

今回の聖書箇所は。

創世記第1章第5節

かみひかりひるづけ、やみをよるづけられた。

ゆうとなり、またあさとなった。

だいにちである。」

この文言を素直に受け止めます。

光の存在する昼と光の存在しない夜の間に夕があるわけです。

つまり、光が徐々に弱くなり、

そして真っ暗な夜になった。

その後、徐々に光が強くなって昼になった。

当たり前ですが、

ここに注目します。

つまりこの瞬間に「時」が創造されたと考えられます。

ところで、皆さんは永遠をどう捉えますか?

いつまでも終わらない感じがします。

でも、もし時が存在しないのが永遠度とするとどうでしょう。

もし時がこの世から無くなったらどうなるでしょう。

まず全ての運動が止まります。

物が落ちることもありません。

ものが劣化することもありません。

もちろん年もとりません。

季節が移り変わることもありません。

そして、昼が夜になることもありません。

この逆を考えると。

聖書の中で昼夕夜朝があったと書いてあると言うことは

この時に時ができたと言うことになります。

どうでしょうか?

 


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