皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、聖書のお話を説教くさくしない感じでブログを書いております。
今回の聖書箇所は。
創世記第1章第5節
「神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。
夕となり、また朝となった。
第一日である。」
この文言を素直に受け止めます。
光の存在する昼と光の存在しない夜の間に夕があるわけです。
つまり、光が徐々に弱くなり、
そして真っ暗な夜になった。
その後、徐々に光が強くなって昼になった。
当たり前ですが、
ここに注目します。
つまりこの瞬間に「時」が創造されたと考えられます。
ところで、皆さんは永遠をどう捉えますか?
いつまでも終わらない感じがします。
でも、もし時が存在しないのが永遠度とするとどうでしょう。
もし時がこの世から無くなったらどうなるでしょう。
まず全ての運動が止まります。
物が落ちることもありません。
ものが劣化することもありません。
もちろん年もとりません。
季節が移り変わることもありません。
そして、昼が夜になることもありません。
この逆を考えると。
聖書の中で昼夕夜朝があったと書いてあると言うことは
この時に時ができたと言うことになります。
どうでしょうか?