甘霧庵

古都京都の文化遺産 二条城 その5 三代目二条城 再び登場。織田信長さんが手を出します。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、二代目二条城が織田信長の手で焼け落ちたのが1573年。

それから3年後の1576年にまたまた織田さんが二条城を建築いたします。

この年に織田さんは滋賀県の近江八幡市に安土城を築城し始めます。

この年は織田さんの絶頂期だったのでしょう。

ま、しかし大体、時の権力者が豪華な建物を建築し始めると

凋落の始まりですよ。

話を二条城に戻します。

織田さんの計画としては、

本宅は安土において、

京都の別宅として二条城を建てようとした感じでしょう。

現代でしたら、京都から近江八幡まではJR東海道線の新快速で30分ほどで到着しますが、

当時は1日がかりだったのでしょう。

近江八幡から京都に出かけたら必ず1泊はしなければならないですね。

その度にそれなりの宿舎を手配するとなると織田さんもめんどくさいですが、

その秘書のめんどくささは想像を絶することでしょう。

ですから、京都に別宅を建てておけば何かと都合がいい。

というわけです。

当時、京都には天皇陛下御一行がお住まいになっており、

その付き人や公家の方々も当時最強の織田さんが京都にいてくれたら何かと都合がいいし安心できたでしょう。

そんなこともあって三代目二条城は建築が始まりました。

続く。

画像

狩野宗秀 (Kanō Sōshū, 1551 – 1601) – en:Image:Odanobunaga.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=191607による


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