甘霧庵

古都京都の文化遺産 二条城 その6 三代目二条城 このお城が御所と呼ばれる所以です。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、織田信長さんが築造した三代目二条城(別称 二条新御所)は、

元々二条家のお屋敷でした。

それを織田さんが京都の別宅として譲り受け、

改築したものです。

1577年に織田さんは三代目二条城に引っ越しします。

そして、このお城を拠点にして京都の朝廷の対応、公家の対応

それに大阪の大店の主人や、宗教関係者の対応、地方の大名の対応をしていたようです。

特にこのころ信頼していた人に随分裏切られたみたいですし、

何より大阪にあった浄土真宗とのやりとりがいよいよ激しくなってきた時期です。

ちなみに1580年から浄土真宗との全面戦争が始まります。

それはさておき、

織田さんは1579年に完成した安土城に引っ越しをすることになります。

そうするとせっかくの三代目二条城は空き家になります。

お城自体は案外こじんまりした感じだったみたいですが、

当時の贅を尽くした建物ですから空き家にしておくのはもったいないですね。

そこで、織田さんは当時の皇太子である誠仁親王(さねひとしんのう、1552年5月16日- 1586年9月7日)にお譲りします。

当時は天皇陛下がお住まいになっていた御所が「上の御所」そして三代目二条城が「下の御所」と呼ばれていたそうです。

続く。

画像

誠仁親王

不明 – The Japanese book "Zehi ni Oyobazu (是非に及ばず ―本能寺の変を考える―)", Shiga Prefectural Azuchi Castle Archaeological Museum (滋賀県立安土城考古博物館), 2001, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8532740による

 


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