甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第51弾 芥川龍之介先生 シリーズ第2弾です。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、1892年〈明治25年〉3月1日 に現在の聖路加国際病院の裏手あたりで生を受けた芥川先生。

当時の姓は新原(にいはら)でした。

家族構成は父母と2人の姉がいました。

しかし、長姉は、龍之介が生まれる1年前に6歳で病死しています。

このことが龍之介先生の人生を変えてしまいます。

龍之介先生がまだ7ヶ月の頃、

姉上様の死によって、

母上様であるフクさんがご病気になります。

それも、精神に異常を来したようです。

そして、それが原因で龍之介先生は母上様のご実家で伯母上様のフキさんに育てられる事になります。

ちなみに母上様ですが、1903年(龍之介先生が11歳)にお亡くなりになります。

一方、実家ではフクの妹フユが家の手伝いに入り、

1899年に実父フユとの間に得二を儲け、1904年にフユと正式に再婚しました

龍之介先生は13歳のとき、

叔父・芥川道章(フクの実兄)の養子となり、

芥川姓を名乗ることになりました。

ですから、龍之介先生の幼児体験は今の両国駅の近所、

東京都墨田区両国3丁目21−18です。

地図です。

そしてそこに生育の地の碑が立っております。

この碑の奥に横綱横丁という路地があります。

ぜひ行ってみてください。

 

 

 

 

 

 


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