甘霧庵

古都京都の文化遺産 二条城 その8 悲劇の舞台となりました。京都には悲劇の舞台だらけですが、

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、本能寺の変が起こりました。

で、前回のブログでどうやら誤りがありました。

妙覚寺の場所が間違っておりました。

正確には現在の中京区上妙覚寺町にありました。

改めて地図を載せておきます。

地図中の京都国際マンガミュージアムのあたりが織田信長さんがお建てになった三代目二条城(二条新御所)の場所です。 

本能寺は上妙覚寺町から南に約1kmのところにあります。

上の地図には載っておりませんが、通りをあと二つほど下がったところにあります。

で、本能寺が襲われた時に、妙覚寺に宿泊していたお跡継ぎである信忠様は救援に駆けつけます。

しかし、こちらもそんなに兵力を持っているわけではありません。

そして、部下によって一旦三代目二条城に向かいます。

当時、三代目二条城には東宮・誠仁親王と、若宮・和仁王(後の後陽成天皇)がお住まいになっていらっしゃいましたが、

一時的に休戦して高貴な方々は御所に避難されます。

その後、二条城内で会議が行われました。

その会議で信忠様は安土城に引き上げることが困難であると判断して、

この場で決戦することを決めます。

随分と抵抗されたみたいですが、

所詮は多勢に無勢。

最後はご自身でお腹を召されました。

続く。

画像

投稿者がファイル作成 – ブレイズマン (talk) 09:27, 4 February 2009 (UTC), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5863137による

 


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