皆さんこんにちは。
甘霧庵でございます。
さて、芥川龍之介先生は生後7ヶ月で母親の実兄であります芥川道章さんに一旦預けられます。
しかし、芥川先生が11歳のとき、正式に芥川家の養子になり、
以降、芥川姓を名乗ります。
おそらく、先生自体は10年も芥川家で育てられていたので、
特に違和感はなかったかと思われます。
しかも、先生にとってラッキーだったのは、
芥川家が非常に立派なお家柄だったことです。
芥川家は江戸時代なんと徳川家の奥坊主(おくぼうず)の職についておりました。
奥坊主とは御用部屋坊主ともいい、
江戸城内の茶室を管理し、
将軍や大名・諸役人に茶の接待をした坊主のことです。
ちなみに、
表坊主という職もありました。
こちらは大名や諸役人に給仕をし、
また、掃除などをもしました。
そんなわけで、芥川家は金銭的だけでなく、
文化的にも充実した家庭でした。
その中でも養父の芥川道章さんは非常な教養人であり、
学問に励み、家族にも励まし、
趣味人でありました。
茶道・花道はもちろんのこと
俳句、和歌などをたしなみ、
歌舞伎や義太夫、一中節などの鑑賞にも熱心に通ったようで、
ご自身でも語っていたみたいです。
そんな教養溢れる家庭で芥川先生はスクスクと育ちました。