甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第52弾 芥川龍之介先生 シリーズ第3弾です。 

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、芥川龍之介先生は生後7ヶ月で母親の実兄であります芥川道章さんに一旦預けられます。

しかし、芥川先生が11歳のとき、正式に芥川家の養子になり、

以降、芥川姓を名乗ります。

おそらく、先生自体は10年も芥川家で育てられていたので、

特に違和感はなかったかと思われます。

しかも、先生にとってラッキーだったのは、

芥川家が非常に立派なお家柄だったことです。

芥川家は江戸時代なんと徳川家の奥坊主(おくぼうず)の職についておりました。

奥坊主とは御用部屋坊主ともいい、

江戸城内の茶室を管理し、

将軍や大名・諸役人に茶の接待をした坊主のことです。

ちなみに、

表坊主という職もありました。

こちらは大名や諸役人に給仕をし、

また、掃除などをもしました。

そんなわけで、芥川家は金銭的だけでなく、

文化的にも充実した家庭でした。

その中でも養父の芥川道章さんは非常な教養人であり、

学問に励み、家族にも励まし、

趣味人でありました。

茶道・花道はもちろんのこと

俳句、和歌などをたしなみ、

歌舞伎や義太夫、一中節などの鑑賞にも熱心に通ったようで、

ご自身でも語っていたみたいです。

そんな教養溢れる家庭で芥川先生はスクスクと育ちました。

 

 

 

 


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