甘霧庵

ジャン=バティスト・リュリ その3 高貴なお方の家系図は骨が折れます。しかし、立派な家系です。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、17世紀において、

一介の粉屋の息子が音楽家になることはほとんど奇跡です。

しかし、その奇跡がリュリには起こりました。

まず、1646年にロジェ・ド・ロレーヌさんと運命的な出会いをしました。

この方が当時かなり高貴なお家の方でして、

父上様がギーズ公シャルル1世

ギーズ公のお家も立派なのですが、

奥様のアンリエット・カトリーヌ・ド・ジョワイユーズ様も高貴なお家でいらっしゃいました。

アンリエット様にとってギース公は2度目の結婚で、

1度目はモンパンシエ公アンリ・ド・ブルボン様でいらっしゃいます。

お名前でお気づきの通り、

あのブルボン家の支流のお方であります。

このお二人がご結婚されたのが、1597年5月15日でアンリ様が24歳、アンリエット様はまだ13歳でいらっしゃいました。

その後、このお二人の間に1608年10月15日アンリエット様が24歳の時に一人娘がお生まれになります。

その方がマリー・ド・ブルボン=モンパンシエ様でいらしゃいます。

その後、アンリ様は1608年にお亡くなりになり、

この時点でブルボン=モンパンシエは途絶えてしまいました。

ちょっと長くなりましたので、

今回は一旦ここまで。

画像
アンリエット・カトリーヌ・ド・ジョワイユーズ
正体不明の画家 – Versailles, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10435752による

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