甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第54弾 芥川龍之介先生 シリーズ第5弾です。 

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、ご家庭の都合により母の兄である芥川家の養子になった芥川先生は、

教育水準の高い芥川家ですくすく育ちました。

1898年には近所の江東尋常小学校に入学、

その後、東京府立第三中学校に入学いたします。

東京府立第三中学校は現在の東京都立両国高等学校・附属中学校です。

なんと都立の中高一貫校です。

ですから高校入試は致しておりません。

場所はここです。

 

錦糸町の駅前ですね。

芥川家は学校のすぐ北側にある大きな通りを西に1.5kmほど行ったところにあります。

歩くと20分ほどでしょう。

明治の時代ですから歩くことは現代に比べて苦痛はなかったでしょうから、

これまた、近所の学校に通学できたわけです。

しかし、この学校は今もそうですが、一筋縄では行きません。

まず、校長先生の八田 三喜(はった みき、1873年 – 1962年)さんがとても厳しい教育方針だったみたいです。

ただし、ただ厳しいだけではなく生徒の自主性を重んじ、

不祥事を起こした生徒にも親身になって相談を受けたそうです。

そんな環境の中芥川先生はその才能をぐんぐん伸ばしていかれます。

そして、卒業時には「多年成績優等者」の賞状を受けます。

続く。

画像

東京府立第三中学校創立当時の校舎の外観

不詳 – 『両国高校八十年』, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=121804163による

 


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