甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第54弾 芥川龍之介先生 シリーズ第6弾です。 とりあえず最終回です。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、現在の聖路加病院付近にお生まれになった芥川先生は、

ご家庭の事情で母上様のお兄さんである芥川家に預けられ、

その後、正式に養子となります。

芥川家は現在の両国駅の近く、回向院にも近いところにありました。

芥川家は江戸時代には幕府に出入りできるほどの名家で、

明治の時代になっても学問を奨励し、

芸術を愛し、

文学を好みました。

そんな環境の中、芥川先生はすくすく育ちました。

近所の小学校を卒業された後は、

現在の錦糸町駅の近くにある東京府立第三中学校を優秀な成績でご卒業されました。

そして、1910年(明治43年)9月、第一高等学校第一部乙類英文科に入学されました。

しかも、無試験の合格だったみたいです。

今風に言いますと推薦入試ってところでしょう。

第一高等学校といえば、駒場にある感じですが、

芥川先生が通学された当時、第一高等学校は現在の本郷向丘弥生町にありました。

つまり、あの東大赤門の近所にありました。

両国の芥川家から本郷までは流石に通学に徒歩は無理でしょう。

と言いますか、全寮制だったみたいです。

芥川先生も入寮します。

そこで、いろいろな人と出会いさらに才能に磨きがかかります。

その後のことはまたの機会にします。

では一旦。

画像

東京帝国大学を卒業する1916年(大正5年)頃の第4次『新思潮』のメンバー。右から2番目が芥川龍之介、一番右は成瀬正一、一番左から久米正雄、松岡譲。

不明 – 堀辰雄・葛巻義敏・芥川比呂志 編集『芥川龍之介作品集第1巻』, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=33976521による

 

 

 


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