甘霧庵

ジャン=バティスト・リュリ その6 チャンスを掴み取るのも才能。それを活かすのも才能。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、リュリが最初に音楽を習ったのは地元のフランシスコ会の修道士だったそうです。

いわゆる、教会学校に近いものでしょうか。

おそらくレッスン料もかなり安かったか、

私は無料だったと思います。

とにかく音楽に異常に興味のあったリュリは修道会に出入りしては

ギターを習い、

バイオリンを習い

そして帰り際にはお菓子の一つももらってきたことでしょう。

リュリは謝肉祭でピエロの格好をしてバイオリンを弾いていました。

そこをロジェさんに発見されたわけです。

ロジェさんはロジェさんでロジェの異父姉の娘であるアンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアン(グランド・マドモワゼル)

がイタリア語の話せる召使を探すように頼まれたか、

あるいは単に知っていただけか

とにかく、これは面白いと思ってリュリをフランスに連れて行くことに決めました。

そして、リュリはグランド・マドモワゼルの召使として雇われることになったのです。

彼は彼女の部屋の召使としてかなり近い存在として雇われましたが、

その間、家庭音楽家や作曲家のニコラ・メトル、フランソワ・ロベルデー、ニコラ・ジゴーらに音楽の正式な授業を受け、

その才能を磨いていきました。

画像

ポール・ミニャール – http://www.photo.rmn.fr/archive/17-510739-2C6NU0ATWZKF7.html, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=13254553による


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