甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第55弾 新しいシリーズの始まりです。あの有名な赤穂浪士事件です。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、日本人でしたら大概の方はご存知の「赤穂浪士事件」。

その主役の一人が吉良上野介さんです。

昔の高級武士は別称が多く

この方も本名は源義央(みなもとのよしひさ)といいます。

つまり、源氏を祖先とする立派なお家柄だったわけです。

吉良という姓は源氏の支流というわけです。

なんとそのお家柄は徳川家康さんとごく近しい親戚であったそうで、

徳川家康さんが吉良家の家系図を借りて自分が源氏の系統だと証明したこともあったそうです。

さらに、

室町時代には足利将軍家の血筋が途絶えた場合には吉良家から将軍候補を輩出することも決まっていたみたいですから、

そのお家柄は大層なものだったのでしょう。

その証拠にwikiによりますと

吉良家の領地は三河国幡豆郡吉良庄、岡山、横須賀、乙川、饔場、小山田、鳥羽、宮夾の八箇村の3200石、

上野国緑野郡の白石村、碓氷郡の人見村、中谷村の三箇村の1000石、計4200石で、

注目すべきは三河国ということです。

三河といえば言わずと知れた徳川家康の出身地です。

つまり、徳川家にとって出身地を領土に持っていたということは、

やはりそれなりのお方だったのでしょう。

赤穂浪士事件の舞台はその吉良邸で起こりました。

画像

Utagawa Kuniteru (歌川国輝) – Ukiyo-e.org https://ukiyo-e.org/image/ritsumei/arcUP1181, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=95628882による

 


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