甘霧庵

古都京都の文化遺産 二条城 その14 暗黒時代を耐え抜いた二条城。ここから一気に時代の表舞台へ。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、1603年に完成した二条城は最初こそ将軍がお越しになって京都御所にいらっしゃる時の天皇陛下に謁見したり、

大阪城を陥落させるための作戦本部として使われました。

しかし、京都で起こった大火災と落雷で二条城はすっかり破壊されてしまいました。

もし、徳川幕府が予算が豊富にあれば二条城の修復もしたことでしょう。

しかし、天明の大飢饉ですっかり予算を使ってしまったこと。

さらに他の大名に修繕させるだけの力は当時の幕府になかったかもしれません。

そうなると二条城の破壊された一部を除いてほとんど使われることも無くなったと思われます。

そうなると建物はどんどんどんどん朽ちていきます。

しかし、二条城に転記が訪れます。

時の将軍様は徳川家茂様です。

1862年、家茂将軍と仁孝天皇の第八皇女である親子内親王(ちかこないしんのう)様とのご結婚が決まります。

親子内親王様は「和宮」(かずのみや)様として有名でいらっしゃいます。

当時、徳川家茂将軍は1846年のお生まれですから16歳、

和宮様も同じ1846年のお生まれです。

同い年の超ロイヤルカップルのご成婚というわけです。

当然、将軍家は天皇家にご挨拶に行かれることいなります。

続く。

画像

Kawamura Kiyoo (1852-1934) – http://nekoarena.blog31.fc2.com/blog-entry-1619.html, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=46834137による


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