甘霧庵

ジャン=バティスト・リュリ その8 フロンドの乱勃発。これをピンチと捉えるかチャンスと捉えるか。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、1643年にルイ13世がお亡くなりになり、

当時4歳だったルイ14世がフランス国王が即位します。

そして、母親であるアンヌ・ドートリッシュさんが摂政にルイ14世の教育係だったジュール・マザランさんが顧問役に就任します。

しかし、この二人の政治はあまりよろしくなく、

特にハインリヒ・シュッツでもご紹介した三十年戦争のための重税を一般市民だけでなく、

各貴族にも課しました。

想像するに、現代の日本同様、累積課税を採用したのでしょう。

とすると貴族は貴族で重税を課せられたことでしょう。

そうなると、民衆と貴族の連合軍VS国王軍の戦いが勃発します。

これが1648年に勃発したフロンドの乱です。

この時、リュリのご主人様であるアンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアンさんも民衆と貴族の連合軍側につきます。

さらっと書きましたが、アンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアンさんは一軍を率いるほどの大金持ちだったんですね。

しかし、結果は国王軍の勝利でフロンドの乱は終結しました。

実に4年もかかりました。

この時、負けたアンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアンさんは自宅蟄居となりました。

この時ルイ14世は14歳、

アンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアンさんは25歳、

リュリは20歳です。

画像

匿名 – http://www.beearty.com/index.cfm?event=catalogue.product&productID=130367, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5186468による

 


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