甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第57弾 生まれながらの家系で運命が決まる時代です。致し方ない。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、赤穂事件の加害者といいますか、被害者といいますか。

もう一方の主人公である浅野内匠頭こと浅野長矩(あさの ながのり)さんです。

こちらは吉良家に比べればかなり見劣りします。

浅野家が台頭したのは浅野長政さんのときです。

時代的には豊臣政権の頃です。

豊臣秀吉さんの奥さんのおねさんは浅野家の出身ということも相まって、

豊臣政権では浅野長政さんは五奉行の一人として主に司法を担当します。

その後、徳川政権でも関ヶ原の戦いで江戸城の留守番役を任されるなど重役を担いました。

元々、浅野家は武田信玄の後の山梨を中心とする当時の甲斐を領地として与えられておりましたが、

その後、和歌山県を中心とする紀伊を領地として指定され、

その後、広島県を中心とする安芸を追加で与えられます。

赤穂事件の浅野長矩はこの安芸の出身です。

ですから、同じ徳川家の部下であっても徳川家の縁戚関係にあった吉良家と

関ヶ原以前からの部下ではありますが所詮は一地方の大名とではどうやったって格差は生まれてしまいます。

浅野長矩のお爺さんに当たる浅野長重(あさの ながしげ)さんが兵庫県の赤穂に異動したことにより赤穂事件と言われることになりました。

続く。

画像

不明 – 花岳寺所蔵品。, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3278306による


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