甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第58弾 分不相応な役割は、人をおかしくさせてしまいます。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、旧暦の1701年3月14日(新暦では4月21日)江戸城の松の廊下で事件は起こりました。

有名な刃傷事件です。

原因は様々な説が飛び交っておりますが、

私が一番納得できた説は、

浅野内匠頭さんの過度のストレス説です。

この当時、京都の天皇家から東京の江戸城徳川家にお使いが来ておりました。

将軍家は天皇家の部下と言う立場ですので、

このお使い役を大層接待したそうです。

その接待役は各大名の持ち回りで、

費用も担当大名がお支払いをしておりました。

1701年は浅野家が接待役でした。

そして、不幸が3つ重なりました。

まず、この時の将軍は徳川綱吉将軍です。

綱吉将軍は自分の母親である桂昌院(けいしょういん)様に朝廷から高いくらいを授けてもらいたかったようです。

ですから、この時の接待役には相当なプレッシャーをかけていたと思われます。

次に、この接待の方法は古来からの伝統に則って行われます。

その指導役が吉良家でした。

吉良上野介は浅野内匠頭にパワハラ的な言動をとっていたのでしょう。

「何度、こんなことも知らないのか。」

「お前、それでも大卒か?」

「お前、まだそんなことやってんのか」

こんなこと言われたのでしょう。

そして、

画像

桂昌院像(長谷寺蔵)

不明 – The Japanese book "Exhibition of the Treasures and Papers of the Tokugawa Shogunal Household", パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9675806による


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