甘霧庵

古都京都の文化遺産 二条城 その16 政治の中心地から京都府庁になってしまった。屈辱的だったでしょう。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、1863年に第14代徳川家茂将軍が約230年ぶりに二条城にお入りになってからと言うもの

二条城は一気に歴史の表舞台に登場します。

この頃、江戸幕府にとってとりあえずの眼前の悩み事は西日本に集中しておりました。

ですから、江戸城で政務を取るより、二条城で政務を取る方が幕府にとって便利だったのでしょう。

それが証拠というわけではありませんが、

家茂将軍が1866年にわずか20歳で亡くなると、

その後継に指名された第15代徳川慶喜将軍が将軍の任命式が執り行われたのは二条城でした。

その後も政務の中心は二条城で行われることになりました。

そして、1867年10月14日(旧暦11月9日)に大政奉還が、

これまた二条城で執り行われました。

この頃が二条城のピークだったかもしれません。

その後、二条城は新政府に譲渡されました。

しかし、明治政府が京都から東京に遷都されると

二条城は再び主人のいない城になってしまいました。

その後、二条城は一時期京都府の府庁が置かれることになります。

これは二条城にとっては屈辱的なことだったかもしれません。

一時期は国政の中心地となっていたにもかかわらず、

今となっては一地方の県庁です。

無念だったでしょう。

画像

頓田丹陵筆『大政奉還』(聖徳記念絵画館蔵)(奥の人物は徳川慶喜、場所は二の丸御殿黒書院)

邨田丹陵, Tanryō Murata – 明治神宮聖徳記念絵画館, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5875808による

 

 


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