甘霧庵

ジャン=バティスト・リュリ その10 成功のコツはピンチをチャンスにできること。できますか?

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、1652年にフロンドの乱によって失脚したグランド・マドモワゼルことアンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアン。

彼女の下男として勤めていたリュリはグランド・マドモワゼルのブルゴーニュ蟄居にはついていかず、

パリに残ることになりました。

しかし、職を失ったリュリは当時国王になったルイ14世に売り込みます。

おそらく、自分で作曲した音楽に踊りの振り付けをつけた短いバレエをルイ14世に見てもらったと思います。

そして、なんと採用。

ルイ14世は24 の楽器で構成されるヴィオロンデュ ロワの大バンドにリュリを雇いました。

素晴らしいですね。

よくピンチはチャンスと言われますが、

まさにこれぞピンチはチャンスですね。

もし、安定を求めてグランド・マドマゼルについて行っていたら、

片田舎でグランド・マドマゼルを慰めるだけの無名の音楽家で歴史に埋もれてしまったいたことでしょうし、

もし仮に後世の音楽家に楽譜を発見されたとしても、

その評価はそんなによろしくはなかったことでしょう。

しかし、彼はついに国王のお抱え音楽家の一員になりました。

この時、リュリは20歳、

ルイ14世は14歳。

年齢の近いこの二人、

この後どうなるのでしょうか。

画像

Portrait of Several Musicians and Artists by François Puget. Traditionally the two main figures have been identified as Lully and the librettist Philippe Quinault. (Louvre)

By François Puget – User scan of Brunel, Pierre; Wolff, Stéphane (1980). L'opéra, p. 31. Paris: Bordas. OCLC 252303166, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=16325729


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