甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第60弾 松之大廊下なんでしょうか、松ノ御廊下なんでしょうか。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、赤穂事件についてWikipediaによりますと。

1701年4月21日午前11時半過ぎ、

吉良上野介が本丸御殿の大広間から白書院へとつながる松之大廊下を歩いていました。

ただし、正式には松之大廊下(まつのおおろうか)と呼ばれています。

松之大廊下は、江戸城内にあった大廊下のひとつで、

本丸御殿の大広間から将軍との対面所である白書院に至る全長約50m、幅4mほどの畳敷の廊下です。

廊下に沿った襖に松と千鳥の絵が描かれていたことから松之大廊下と称されました。

ただし、「江戸御城内御住居之図」の当該部分には「松ノ御廊下」と記され、

「マツノヲンロウカ」と読み仮名が振られています。

(ライデン大学図書館蔵、『長崎出島からの旅 ヨーロッパに眠る日本の宝 シーボルト・コレクション』(シーボルト・カウンシル編、1990年)140頁に写真所収)

浅野内匠頭が上野介の後ろから声をかけ、

あるいは「この間の遺恨覚えたるか」と声をかけて小さ刀で肩先を斬りつけ、

更に斬りつけたところ、

上野介が振り返ったので小さ刀は吉良の眉の上を傷つけました。

小さ刀は上野介の烏帽子の金具にも当たり大きな音をたてた

そして上野介が向きかえって逃げるところを追いかけ、また2度斬りつけました

続く。

画像

パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=234579


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