甘霧庵

ジャン=バティスト・リュリ その13 この人は何人でしょうか? 一応、イタリア人です。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、時の国王ルイ14世の寵愛を受けたリュリはここから一気に才能を開花させます。

1653年2月にリュリは若きルイ14世の目に留まり、

王立夜のバレエ団でルイ14世と共に踊るほどに親しくなりました。

そして、ついに1653年3月16日にリュリは王室器楽作曲家に任命されました。

よほど二人は気が合ったんですね。

これを機に宮廷バレエのための声楽曲と器楽曲で、リュリは次第に欠かせない存在となっていきました。

1660年と1662年には、当時イタリアですっかり成熟したオペラをフランスでも上演することになりました。

演奏されたのはフランチェスコ・カヴァッリの『クセルス』と『エルコレ・アマンテ』です。

この宮廷公演にリュリは協力しつつ、イタリアの最新の音楽事情を飲み込んでいきました。

1661年3月9日にマザランが死去するとルイ14世は親政を開始し、以後は宰相を置かないことを宣言します。

ルイ14世若干23歳です。

その時、リュリは王室音楽の監督と王室楽長に任命された。

そして1661年12月リュリはフランスに帰化しました。

ということはこの時までイタリア人だったわけです。

つまり、名前はジョヴァンニ・バッティスタ・ルッリ(Giovanni Battista Lulli)だったわけです。

画像

By Ducarme – This file comes from Gallica Digital Library and is available under the digital ID btv1b8422119p, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=37714


Leave a Comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA