甘霧庵

古都京都の文化遺産 二条城 その21 この場所は適当に決めたわけではありません。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、現在の二条城は京都御所の南西にあります。

で、この場所について徳川家康さんの考えを

Wikipediaから引用しますと

「二条城はかつて平安京の大内裏であった場所の南東端とその南にあった禁園(天皇の庭園)である「神泉苑」跡とにまたがる地にある。

東西約500メートル、南北約400メートル、ほぼ矩形だが厳密には東側から見て凸型となっている。

南北の幅が狭くなっている西側部分が徳川家光の時代に行われた寛永の大改修によって拡張された部分で、家康による創建時は現在の東側半分(二の丸)のみであった。

家康がこの地を選んだ理由は不明だが、この地が比較的人家がまばらであったこと(それでも数千軒が取り壊された)が考えられる。

そのほか、信長の二条新御所と秀吉の妙顕寺城が並ぶ東西のラインと秀吉の聚楽第から真南に延ばしたラインの交差する場所、いわゆる聖なるラインの交わる場所であったことが注目される。

特に聚楽第の存在は大きく、共に堀川西域に立ち御所に向けて門を開けている様子は家康が聚楽第を意識していたことを明瞭に示している。」

とのことです。

つまり、他の権力者からとやかく言わせないためだったのでしょう。

画像

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