甘霧庵

ジャン=バティスト・リュリ その14 昇進して、帰化して、結婚して、順風満帆です。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、1661年、フランス人に帰化したリュリはルイ14世国王の後ろ盾もあり、

この頃からじゃんじゃん作曲家として作品を残します。

そのほとんどはバレと言われるダンス音楽です。

バレエではありません。

バレです。

バレエのような大規模ではありません。

もっとこじんまりとした感じです。

王宮がいくら大きいと言っても現代のコンサートホールほど大きくはありませんし、

コンサートと言っても王宮内の内輪の集まりです。

ですからそんなに大きな演出や振り付けができません。

その小規模なダンスをバレとでも考えてください。

厳密には違うでしょうが、

何はともあれリュリはガンガン曲を書き、

その曲を王宮で発表し、

時折、王様と一緒に踊ることもありました。

そして、1662年になりますと同僚と言いますか大先輩の作曲家ミシェル・ランベール(Michel Lambert, 1610年生 – 1696年6月29日没)の

御息女マドレーヌ・ランベールと結婚します。

ちなみにミシェル・ランベールもリュリ同様、作曲した作品を宮廷で披露し、そして自身も踊り手として出演することもあったみたいです。

そして、リュリが音楽監督を務める王の宮廷音楽隊の音楽長となり、死ぬまでこの職を務めたみたいです。

画像

ミシェル・ランベール

Elias223 – 不明, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=17819744による

 

 

 


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