甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第62弾 刑罰はすぐに決まりました。あっさりしたもんです。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、江戸城の松の廊下で起きた刃傷事件はすぐさま時の将軍徳川綱吉に伝えられました。

何と言っても自分のお膝元で刃傷沙汰があったことは将軍にとっては我慢ならなかったことでしょう。

その上、天皇家からの使者をおもてなしをしている真っ最中

しかも、この日は将軍が先に下された聖旨・院旨に対して奉答するという儀式(勅答の儀)が行われる、

幕府の1年間の行事の中でも最も格式高いと位置づけられていた日でした。

その上、何と言っても自分の母親の官位がかかっておりました。

将軍の怒りは一気に沸点に達し、

将軍はその場ですぐに浅野長矩の切腹が決定します。

ちなみに使者は東山天皇(ひがしやまてんのう)からは柳原 資廉(やなぎわら すけかど)さんと高野 保春(たかの やすはる)さん、

霊元上皇(れいげんじょうこう)からは清閑寺 熙定(せいかんじ ひろさだ)さんだったそうです。

一方、被害者側の吉良義央については優しいお言葉をおかけになります。

Wikipediaによりますと

「手傷はどうか。

おいおい全快すれば、心おきなく出勤せよ。

老体のことであるから、ずいぶん保養するように。」

とお声がけされたようです。

画像

公寛法親王 – The Japanese book "天皇一二四代 (Tennō hyakunijūyondai)" in Bessatsu-Taiyo (別冊太陽), Heibonsha (平凡社), 1988, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10393347による

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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