甘霧庵

古都京都の文化遺産 二条城 その23 狩野探幽と言う大天才がいてよかった。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、二条城といえば二の丸御殿です。

この二の丸御殿の内装を一手に引き受けたのが狩野探幽率いる狩野派の方々です。

内装と書きましたが、

正確には障壁画です。

二条城の障壁画は狩野探幽その人がお描きになったそうです。

上の画像をご覧になったらお分かりですが、

大胆です。

式台は、将軍への用件や献上物を取次ぐ場所とされています。

表の「式台の間」と裏の「老中の間」からなります。

式台の間は、老中と大名が挨拶をし、

将軍への取次ぎが行われたとされる部屋です。

障壁画には、永遠に続く繁栄を表すおめでたい植物として松が描かれています。

この松が見事ですね。

狩野探幽さんは徳川家康さんに随分気に入られていたみたいで、

かの有名な下の絵も狩野探幽さんの作品です。

それ以外にも江戸城の内装や名古屋城の内装も任されていたようです。

つまり、江戸時代の最初期のころは徳川家康さんに相当気に入られていたと考えられます。

この頃の狩野探幽さんは式台の絵に代表されるようにどちらかというと日本風の絵(大和絵)というよりは

中国風の絵(漢画)を描いていたようです。

おそらく大胆な絵を描くには日本風よりも中国風にした方がいいと判断したのでしょう。

お見事です。

画像

Zairon – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=78292361による

狩野探幽 – 大阪城天守閣, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9558314による

 

 


Leave a Comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA