甘霧庵

ジャン=バティスト・リュリ その15 若きリュリは一番いい時期に良縁に恵まれます。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、1660年前半

フランスに帰化したリュリは二人の人物から大きな影響を受けます。

一人目はイタリアの作曲家フランチェスコ・カヴァッリ(カヴァルリ、Francesco Cavalli, 1602年2月14日 – 1676年1月14日)です。

フランチェスコ・カヴァッリについてはWikipediaによりますと

「ロンバルディアのクレーマに生まれる。

1616年にヴェネツィア聖マルコ大寺院の聖歌隊に加わり、

1639年には同寺院の第二オルガン奏者、

1665年には第一オルガン奏者となり、

1668年から同寺院の楽長に就任した。

しかしながら現在カヴァッリは、

専らオペラ作曲家として記憶されている。

1639年に最初の歌劇を作曲。

間もなくオペラ作曲家として非常に名声を博するようになり、

1660年には歌劇《セルセXerse 》の制作のためにパリに招集された。

1662年にはパリを再訪し、ルイ14世の成婚記念のために《恋するヘラクレスErcole amante 》をルーヴル宮で上演した。」

1660年に来仏した際、リュリは新進気鋭の宮廷作曲家として、

1662年の際は、宮廷音楽監督として彼の演奏会をサポートしました。

画像

Francesco Cavalli

不明 – Enciclopedia italiana di scienze, lettere ed arti, éd. Istituto Giovanni Trecani (1931)., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=186753による

 

 

 

 

 


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