甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第63弾 判決はあっという間に決まりました。出来レースです。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、松の廊下の刃傷事件があってからは早かったです。

このブログのどこかで、

多分、天才作曲家シュッツのシリーズで書いたと思いますが、

イエスキリスト様が無実の罪で逮捕され、

不当な裁判の後、拷問を受け十字架につけられたと書きました。

これもかなり酷いハナシではありますが、

浅野長矩さんもかなり酷いハナシです。

事件が起こったのは旧暦の元禄14年3月14日(新暦1701年4月21日)巳の下刻(午前11時半過ぎ)と言われております。

その後、

一応形ばかりの取り調べが行われ、

切腹が決まり、

江戸城の平川口門から出されます。

平川門は現在の東京メトロ竹橋駅付近にあります。

そして午の下刻(午後1時50分頃)浅野長矩さんは平川口門とは正反対の位置にある、

陸奥一関藩主・田村建顕さんの芝愛宕下(現東京都港区新橋4丁目)にあった屋敷にお預けが決まました。

田村さんは急いで自分の屋敷に戻ると、

一関藩藩士75名を長矩身柄受け取りのため江戸城へ派遣しました。

未の下刻(午後3時50分頃)、一関藩士らによって網駕籠に乗せられた長矩は、

不浄門とされた平川口門より江戸城を出ると芝愛宕下にある田村邸へと送られました。

続く。

画像

浅野内匠頭終焉の地

お怒りヘンリー8世 – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=79388393による

 

 

 

 

 

 


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