甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第64弾 裁判も貧弱なら、刑の執行も貧弱です。これも後に響いてきます。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、切腹の判決が出た後、浅野 長矩は江戸城から罪人や遺体などを搬出するための門(不浄門)から出されてしまいます。

浅野 長矩は芝愛宕下の陸奥一関藩主田村建顕(たむら たつあき)の屋敷にお預けとなる事になりました。

夕刻には芝の一関藩邸に長矩が護送されて来ました。

それからすぐに大目付・庄田安利の指示により、

藩邸の庭で浅野長矩さんの切腹が執行されました。

対応は悪かったそうです。

長矩さんは着用していた大紋を脱がされ、

誰にも合わせないため、

逃げることができないようにするため、

収容された座敷のふすまを釘付けにするなどしていたらしいです。

長矩さんは酒や煙草を出すように要求したが田村家は拒絶したみたいです。

ただ、湯漬けを出したところお代わりをして二杯食べたらしいです。

切腹の場所は田村家の庭で、

畳2枚、若しくは筵(むしろ)をしき、

その上に毛氈を敷いた上で行われたようです

このしつらえは内匠頭の身分に不相応な略式であり、

おそらくその背後に将軍・綱吉の強い意向が働いていたようです。

田村家も同様で、

介錯に使おうと田村家伝来の由緒ある刀を家臣が持ち出してきたので建顕が激怒したり

切腹した場所には今後誰も近づかないよう藩士に厳命したり

長矩の遺言を隠したともいわれております。

続く。

画像

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