甘霧庵

東京探訪 旧〇〇シリーズ 第67弾 当然ながらお家は取りつぶしになってしまいました。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、浅野内匠頭が切腹した後、

奥さんの阿久里さんは、

その日の夜に剃髪し、

名を瑤泉院と改めとされて

翌日の明け方に麻布今井町の屋敷に移されました

一方、江戸城に残っていた浅野家の家来たちは一斉に退去を命じられます。

しかも、江戸屋敷も取り上げられてしまうことになりました。

幕府の方は家来たちが暴動するのを恐れて上使に任ぜられた水野監物忠之の配下の者達に廻りを固めさせました。

一方で本家の赤穂にも第一報が届けられます。

赤穂といえば兵庫県の最西端で現在の岡山県との県境にあります。

そこまで第一報を伝えるとなれば最短で5日。

頑張って3日ってところでしょうか。

どちらにしても事件後すぐに第一報が江戸城を出たのは間違い無いでしょう。

内容は浅野家の主人が大事件を起こしてしまったこと。

そして、即日系の執行が決定し、

切腹したこと。

何よりお家のお取りつぶしが決定したことです。

現代風に言いますと

会社の解散命令みたいなもんです。

解散命令はざっくり言いますと

1、不法な目的で会社をつくった。

2、会社を作ったのに営業しない。

3、会社の執行部がとんでもないことをして警告を受けてるにも関わらずやめない。

江戸時代とは違います。

画像

663highland, CC 表示 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=36954218による

 

 

 


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