甘霧庵

ジャン=バティスト・リュリ その20 若い劇団員が情熱だけでかけ始めました。

皆さんこんにちは。

甘霧庵でございます。

さて、役者として劇団を立ち上げたモリエールたちは劇団名を盛名座(せいめいざ、仏: Illustre Théâtre イリュストル・テアトル)として活動を始めました。

Illustreとはフランス語で「華麗な」「栄光の」「華々しい」と言った意味があります。

劇団員はみんな10代後半から20代前半の若者だけです。

しかも、ほとんどが役者経験などないですが、情熱だけは立派だったみたいです。

活動拠点とする劇場は古ぼけた「ジュ・ド・ポーム」を借り受けることができました。

ジュ・ド・ポームは本来球技場で劇場ではなかったため改装が必要でした。

下の図をご参考に

それでさらに借金をしてなんとか劇場に設えました。

その改修の間に一同はルーアンへ赴き1か月の間興行を行ったみたいです

パリで興行を行うことができたのは1644年1月のことでした。

デビュー公演ではトリスタン・レルミットの『セネクの死(La Mort de Sénéque)』を上演したようです

座長のマドレーヌは劇団結成前から有名で人気のあった女優であり、

なおかつ当時人気劇場のマレー劇場が火事のため閉鎖されていた事情もあって、客を集めるのに成功しました。

画像

不明 – [1] (from the book "Le Jeu royal de la paume" by Charles Hulpeau)., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=326781による

Wikimedia Commons / Mu – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10205570による

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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